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伊豆の国の夏は暑い。 家にいても暑くて仕方ないので、こんなときは下界を脱して清涼な天上界へ行くしかない! ということで、この日は伊豆の山岳ステージを攻めてみることにした。 伊豆半島を地図で見ると、垂れ下がったブドウの房のような形をしているが、 南北にこのブドウの真ん中を通るのが狩野川である。 狩野川流域は平野が多く、海抜も100mないほどである。 この狩野川から東西へ、直線距離にして20kmも進めば海に出られるが、 伊豆半島の真ん中から海へ出るには、いずれにしても山を越えなければならない。 天をも穿つほどにそびえ立つ山はないものの、標高500〜1000m程度の小高い山に伊豆半島の外周は囲まれている。 標高1000mもアップすれば、外気温は5〜10度くらい下がり、下界の蒸し暑さから逃れるにはちょうどよい。 今回は、このような山を越え、さらに海へ出るルートとして、海抜900mの仁科峠を経由する道を選んだ。 仁科峠を越えれば、すぐに海だ。土肥や戸田などの集落を抜けるシーサイドルートを走ることができる。 夏にふさわしいサイクリングと言えるのではないか? 不快な熱気で充満する伊豆の国のすまいを後にして、降り注ぐ陽光をホイールに反射させながら、 仁科峠のふもと、湯ヶ島の町へハンドルを向け走り出した。 湯ヶ島の町で、国道414号から県道59号が分岐しており、この59号が仁科峠超えルートとなっている。 片側1車線国道から分岐する県道59号は小さく、見落としてしまいそうなほど頼りないが、 これで海沿いの集落である宇久須の集落へ行くことができる。 国道はドライブにいそしむ車がひっきりなしであったが、県道に入ってしまうとつい先ほどまでの交通量は嘘のようで、 耳障りなエンジン音が蝉の声に変わった。 ここからしばらくは、(持越川という)川沿いの峠道である。 |
県道59号入り口 持越川沿いの道 |
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田畑を横目に 急勾配の峠道を登る ガスに包まれた仁科峠 |
県道に入ってすぐは湯ヶ島の温泉旅館が立ち並ぶ道を進む。大きく立派なホテルなどなく、 昔ながらの小さな旅館が軒を連ね、しっとりとした雰囲気である。 しばらく走るとすぐに温泉の町並みは途切れ、1.5車線幅の峠道は里山の家々や田畑を横目に、 ゆるゆると峠へ向かう。 勾配はほとんどなく、持越川と併走しながら山へ分け入っていく。 深い緑に身を包んだ山塊がどんどん近づいてくる。 しばらく進むと、いままでずっと横目に見てきた持越川が県道を離れた。 ついで、頼りない道は薄暗い杉林に吸い込まれ、勾配も10%近くと、ぐんときつくなった。 本格的な峠の始まりだ。 激坂でレーサーのギアが踏めず、ダンシングする始末。 額からぼたぼたとトップチューブに垂れ落ちる自身の汗を無視しつつ、ゆっくりと峠道を登り続ける。 急坂と杉林の峠道をたんたんと登っていくと、やがて景色が開け、夏空とその下に連なる山々が眼前へ一杯に広がった。 だいぶ標高を稼ぎ、仁科峠はもう目と鼻の先だ。 しかしながら、雲行きが怪しくなってきた。 ちょうど仁科峠のところに、暗雲がひっかかっているみたいだ。 そのため、仁科峠に近づくことは、雲や霧に向かって進んでいることになる。 「峠からの景色は望めないな」と愚痴りながら、最後の急坂をじっくりと攻めた。 暗転。峠は案の定ガスに包まれ、とても真夏の1日とは思えない状態になっていた。 下界はあんなに晴れていたのに。 峠からは海や西伊豆の連なる山々が望めるのだが、今回は完全にガスのカーテンで視界を奪われてしまった。 仁科峠の眺めは、また別の機会に紹介しよう。 ということで、さっさと海側へ下ることにした。 |
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霧に包まれた急勾配の峠道を慎重に下る。峠から少し下ったところには牧草地が広がっており、 どこか牧歌的な景色に気持ちもほっとする。 杉林が続く里山然とした風景を見ながら上ってきただけに、 それとは趣向が異なるこのような景色を見ると、別の国にたどり着いたかのようだ。 牧草地を過ぎてなお急勾配な下り坂は続き、ブレーキを握り締める手に余裕はない。 再び見慣れた杉の峠道となり、タイトなヘアピンカーブをいくつこなしたか忘れた頃に、 ようやく駿河湾が見渡せる宇久須の集落に到着した。 峠では重苦しい灰色の霧に視界を奪われたが、下界では再び夏の日差しが降り注ぎ、 海面できらきらと反射している。 小高い山々に囲まれた伊豆の国では目にすることのない、この浜の景色を見ると、 峠を越えて別の土地に着いたんだな〜、としみじみしてしまう。 宇久須からは、国道136号で北上し、海を眺めながら土肥の町を目指す。 国道のため交通量が多いのに加え、いくつかのトンネルやアップダウンがあるため、 「シーサイドルートをのんびり」としゃれ込むには厳しいものがあるが、 夏のじりじりとした暑さを忘れられるような、爽快感を感じながら走ることができる。 |
峠近くの牧場 急な下り坂 海沿いのルート |
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碧の丘展望台から |
土肥の町を過ぎ、なお、海沿いの道を北上した。 ここからは国道136号ではなく、県道17号線となる。 県道に入ると、アップダウンの数、勾配ともに手ごわくなる。 この辺りは険しい地形になっているようで、荒々しい断崖絶壁が海からそそり立つ景色さえある。 県道はこの厳しい海岸線をトレースすることができなかったようで、地図で見ると海沿いのルートのはずだが、 海抜100mほどの内陸を走ることになる。 海から少し遠ざかるようになるため、潮風や波の音は感じられない上に、 駿河湾の景色は、海と道路の間にある林にさえぎられてしまい、見えなくなってしまう。 シーサイドルートを走っているという感覚はなくなり、普通の峠道を走っているようだ。 交通量は圧倒的に少なくなり、アップダウンでつづられた沈鬱な林のルートを一人黙々と走り続けていると、 やがて道の脇に展望台があったので、休憩することにした。 ”碧の丘”というらしい。 海からの標高差も200m程度あり、これまで自分が走ってきた土肥からの海岸線が見渡せる。 伊豆半島の深緑色と駿河湾の紺碧色で構成できるこの景色は、まるで絵画のように静かに佇んでいる。 雲が多くて景色がやや霞んでしまっているが、額から流れ続けていた汗をぬぐうにはちょうどいい場所だ。 景色が、何も語らぬままに深緑と紺碧の絵画を見せてくれている、そんな気がした。 仁科峠を越え、海沿いの道を走り、これまでペダルを回し続けたことが報われたような気が。 |
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”碧の丘”展望台からさらに道を北上すると、ようやく戸田の集落にたどり着く。 戸田には小さな湾があり、三日月のような形をした浜は、不思議な印象を与える。 そろそろ夕暮れが近いのか、海が橙色に染められてきた。 戸田から帰るためには、標高770mの戸田峠を越えなければならない。 西日を受けて、西伊豆の山塊が眼前に立ちふさがる。 その山塊に向かって、峠を越える策など持っていないかのように頼りない細い道が、まっすぐに延びている。 壁のように立ちふさがる山々の頂には薄暗い雲がかかり、簡単には峠を越えさせないことを示唆している。 もうひと頑張りしないと帰れないようだ。 |
戸田の湾 戸田の港にて 戸田峠へ |
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峠道途中の里山の風景 峠近くから望む戸田の集落 夕闇に沈む景色 |
峠道は急勾配の上り坂で、かなりきつい。勾配10パーセント程度の坂が5kmほど続く。 かつては軽快に上れたであろう坂であるが、今やギアをインナー×ローにしても足りない。 歩いているのとあまり変わらないような速度で、峠までの距離を詰めていった。 これまで数々の峠を越えてきたが、中にはとてもきつい登坂を強いられる峠もあった。 でも、いつだって、峠を越えた先に何かが待っているような気がして、そんな登坂の労力など厭わずにペダルを回していた。 しかしながら、今や夕闇に沈みつつあるこの峠道を越えた先に、何があるというのだろう? この労にこたえてくれる何かがあるだろうか? 峠を越えた先にある世界に何もないならば、なぜ自分はこんな坂を必死で登っているのだろうか? 苦しい上り坂にあえぎつつ、ようやく峠が近づいてきた。 眼下に先ほどまで自分がいた、戸田の湾が広がり、夕陽の橙と夕闇の紺が混じった不思議な色をたたえている。 のんびり走っていたらナイトランになってしまう。 暗くなる前に峠を下らなくては、と思い、立ち止まることなく修善寺側へ下っていった。 それまで夏空のもとに輝いていた景色が、まるで夢であったかのように、 曖昧な濃紺色にすべて塗り替えられていき、その1日は終わった。 |